【チャングムの誓い】歴史に名を残す暴君燕山君

このページではチャングムの誓いの冒頭部分に登場する王様、暴君として名高い燕山君(ヨンサングン)について解説します。

チャングムの誓いの冒頭を大きく動かす暴君燕山君

朝鮮王朝10代目王燕山君は、ドラマ冒頭に謀反によって王宮を追放されました。

燕山君は朝鮮王朝の歴代王の中でも、暴君として知られています。

燕山君は1476年9代目王成宗の長男として生まれました。

母は斉献王后でしたが、1483年に死罪となっています。

燕山君はそのことを知らずに育ち1494年に即位しました。

当初は治政に励んだものの、4年が経つ頃には独裁色が強くなってきました。

そして1504年家臣の密告により生母の死の真相を知ることになります。

そこで起きたのが甲子士禍(カプチャサファ)です。

チャングムの誓いの史実①:燕山君の「甲子士禍」

生母の死を知った燕山君は逆上し、関わったすべての者を処罰することを命じました。

7か月以上にも及ぶ関係者の追及によって、党派、身分にかかわらず多くの人命が失われました。

チャングムの父チョンスが捕らえられたのも、武官の頃燕山君の生母の服毒死に関わっていたからです。

士禍とは官僚を粛清(弾圧)すること。

この恐ろしい士禍は、朝鮮王朝史の中で4回行われましたが、そのうちの2回が燕山君の治世で行われたのでした。

チャングムの誓いの史実②:「中宗反正」

士禍の後、いよいよ燕山君の暴政に耐えかねた家臣たちは、1506年クーデターを起こします。

燕山君の異母弟、晋城大君(のちの中宗)は、家臣たちに担ぎ上げられクーデターを起こすことになりました。

この場面、「チャングムの誓い」では、チャングムと晋城大君の出会いの場面として使われています。

幼いチャングムが、酒瓶の配達に紛れ込ませてクーデターの知らせを密かに晋城大君の元に運ぶのです。

クーデターは成功しましたが、晋城大君は担ぎ上げられただけだったので当初は即位を拒みました。

しかし母、大妃から説得されて、11代王・中宗として即位したのでした。

燕山君は江華島に流刑となり、2カ月後に31歳で病死しました。

燕山君は歴史に名を残すほどの暴君でしたが、こうして短い生涯を終えたのでした。

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