トンイは実在の人物だが名前はフィクション
トンイは韓国時代劇の中でも常に人気ランキング上位に入る安定の面白さです。
中でも主人公のトンイの元気さ、かわいらしさ、努力する姿はすごく好感が持てますね。
トンイに関しては
- トンイって実在した人なの?
- トンイって本名?
- 賤民から王の母ってシンデレラ過ぎない?
等の疑問の声も上がっています。
このページでは人物としてのトンイについて、史実ではどうだったかを解説します。
結論を一言でザックリいうと、トンイは実在した人物だけど名前はフィクション。
詳しくは続きをどうぞ。
トンイのモデルは実在した淑嬪崔氏(スクピンチェシ)
トンイのモデルは、実在の人物である淑嬪崔氏と言われています。
1670年に生まれ、1718年に没しています。
(日本でいうと江戸時代4代将軍家綱から8代将軍吉宗のころ)
淑嬪崔氏のお墓が京畿道坡州市の昭寧園にあるので実在した人物であることは間違いありません。
ドラマ内では秘密結社剣契(コムゲ)の首領の娘で、父や兄の冤罪を晴らすため、名前を偽って掌楽院(チャンアゴン)の奴婢(ヌヒ)として宮廷に入り、王様と会う。
となっていますが、実際は側室になる前の記録はほとんど残っていないそうです。
淑嬪崔氏の名前を解剖すると
- 淑嬪:側室としての地位
- 崔氏:人物名と敬称
となります。
ザックリいうと側室の「淑嬪」という地位にいた崔さん、となります。
なので実際は名字しか分かっておらず、「トンイ」という下の名前はフィクションです。
ただし、父親が崔孝元(チェ・ヒョウォン)という名前であることは史実と一緒のようです。
(父親はコムゲの首領ではなかった)
残念ながら淑嬪崔氏が側室になる前の記録はほとんどないという事なので作品中の前半部分、トンイが側室になるまではほとんどがフィクションという事になります。
- トンイの父・兄がコムゲのメンバー
- 第一話の冒頭、瀕死の高官の手の合図を見る
- 手の合図を頼りに宮女(チャン・オクチョン)と知り合う
- 身分制度が厳しいはずなのに偽名で宮中に入る
- コムゲのメンバーだったチョンスも宮中に入る
私の中では結構ツッコミどころのこれらのエピソードは全てフィクションという事になります。
まぁ、こういったフィクションやドラマとしての脚色がないと面白くないですからね。
ちなみに韓国は歴史に敏感なので、ドラマといえどあまりに脚色がひどいと「歴史のねつ造」と批判が出るそうですよ。
部分的には事実だったこともあり、例えば配属されていた掌楽院(チャンアゴン)は実在して、後継機関は今もソウルにあります。
トンイは王との間に3人の子をもうけた
トンイは王との間に3人の子をもうけています。
1人目と3人目は生まれて間もなく死亡しています。
2人目の子供が延礽君、後の朝鮮王朝21代国王の英祖です。
この辺はドラマでも描かれていますね。
後に英祖となる延礽君は27歳までを民間人の家で過ごしました。
母が賤民出身の王は朝鮮王朝史上唯一です。
淑嬪崔氏の悪評は後にでっち上げられたものも多い
淑嬪崔氏の悪評は後にでっち上げられたものも多いです。
と、いうのも英祖は即位後に「卑しい女の産んだ王」と蔑まれます。
英祖の在位中に「あの王の母親は○○だった」などと対抗勢力が悪評をでっちあげたりしたのです。
このようにして淑嬪崔氏は史実よりも悪く描かれている部分が多くあります。
朝鮮王朝最長在位の王を育てた淑嬪崔氏
英祖は朝鮮王朝最長在位の王です。
82歳の人生、51年7か月の在位。
この長寿の秘訣がつつましい生活でした。
それまでは王の食事は1日5食であったのを、英祖は3食に減らしました。
このつつましさは母である淑嬪崔氏の教えを守り、平民としての生活をした経験からくるものです。
歴史に残る名君を育てた淑嬪崔氏。
その人生を描いたトンイという時代劇。
人気になるのも納得の作品ですね。
以上、トンイは実在の人物でスクピンチェシという事をお伝えしました。
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